『ヴェニスの商人』の主役は誰でしょうか?
これは一概に誰とは言えません。
しかし、「金貸しシャイロック」がその上演においてとても存在感のあるキャラクターだということには、誰もがうなずくのではないでしょうか?
数々の名優が挑戦し、長い上演史のなかで大きな「変身」を遂げてきたシャイロック。
彼が、アントーニオから「心臓近くの肉1ポンド」を切り取ろうと主張する裁判は、『ヴェニスの商人』の名場面のひとつです。
今回は、観るものの心に深く刻みこまれてきたユダヤ人・シャイロックの側から、国際都市ヴェニスの歴史に隠された秘密を解き明かします!
ヴェニスにユダヤ人が定住をはじめたのは、東方貿易によって国が豊かになりはじめた10世紀頃と言われています。ヴェニスは、ドイツ人、トルコ人の商館が建てられ、ユダヤ人のほかアルメニア人、ギリシア人のコミュニティも存在する国際都市でした。
しかし、16世紀前半に、イタリア戦争(1494-1559年)の難民としてユダヤ人が大挙して流れ込み、地元民といざこざが生じました。ユダヤ人が「勝手にシナゴーグを建て、大きく国益を損なっている」とされ、世界初の隔離居住区=ゲットーがつくられたのです[★1]。
ゲットーは非衛生的で、老朽化した木造家屋が密集し、火事になると大きな被害が出たと言われています。
しかし、ヴェニスがユダヤ人のコミュニティを国内に残したのは、その権利を保護するためでもあったのです。
なぜでしょうか?
銀行、金融業を営み、実利的な能力に優れたユダヤ人は、キリスト教徒のビジネスパートナーでもあったからです。
ヴェニス北西の島につくられたゲットー(図1)は、門がとざされる夜間とキリスト教の祝祭日をのぞき、商人が自由に出入りできる場所でした。
図1 水色の丸で囲んだところがヴェニスのゲットー
コミュニティの成熟につれてゲットー内部の文化水準は高まり、劇場や文学サロンができ、欧州の出版・印刷の中心地になった[★2]と言われています。
ユダヤ人コミュニティはヴェニス隆盛の背景でとても重要な役割を果たしていたのです。
全く異なる価値観をもったキリスト教徒とユダヤ人の「相互依存関係」[★3]は、『ヴェニスの商人』のアントーニオとシャイロックの会話にも表れています。
シャイロック
「アントーニオさん、あんたはこれまで幾度となく取引所で私をののしった、私の金や利子がどうのこうのと。[…]ところがどうだ、今になって私の助けが必要になったらしい。[…]」
アントーニオ
「[…]だから、これだけの金を貸すつもりなら、友人に貸すとは思うな。[…]むしろ敵に貸すと思え。そうすれば契約を破られても、大きな顔で違約金が取れるだろう。」
(写真1)シャイロックを演じるカクシンハン・河内大和
異文化の共存する都市――法律が整備され、文化と経済の成熟のうえになりたつもの――は、いつも内側にひびわれを孕んでいます。
シェイクスピアの「言葉」に、その不安が表れているとは思いませんか?
シャイロックもアントーニオもそれぞれの「危機」を生きているのです。
それは、シェイクスピアの豊かな想像力が描き出した、現代の地図なのかもしれません。
(写真2)シェイクスピアの台本から「ヴェニス」を導きだす試みは続く。
★1 ゲットー(Ghetto)は、イタリア語のgettare(鋳造する)からきていると言われるが、異論も多く出ている。
★2 当時ヨーロッパで流通した書籍の約半数(!)がヴェニスで印刷されたものだといわれている。
★3 ユダヤ人とキリスト教徒の「相互依存関係」については、岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』、ちくま学芸文庫を参照。
文責 カクシンハン文芸 原子 耕
本文中の引用は松岡和子先生訳『ヴェニスの商人』、ちくま文庫、第1幕第3場より。
参考文献としては、
根本敏行「欧州都市のユダヤ人街に関する研究ノート(1)
「―ヴェネツィア(イタリア)の調査報告―」、『静岡文化芸術大学研究紀要』vol.15、2014年。
アリス・ベッケル=ホー『ヴェネツィア、最初のゲットー』、木下誠訳、水声社、2016年。
陣内秀信『水都ヴェネツィア』、法政大学出版局、2017年。
黒川知文『ユダヤ人の歴史と思想』、ヨベル、2018年。
2018.11.03 Mon.
カクシンハンPOCKET09
「ヴェニスの商人」
2018年
11月28日 (水)〜12月2日 (日)
原宿VACANT
(渋谷区神宮前3-20-13)
演出:木村龍之介
翻訳:松岡和子
作:シェイクスピア
出演:
河内大和
真以美
岩崎MARK雄大
(以上、カクシンハン)
石毛翔弥(スターダストプロモーション)
鈴木真之介(PAPALUWA/さいたまネクスト・シアター)
白倉裕二
室岡佑哉(仕事)
David John Taylor
一般自由席4,200円 + 1 drink
U22チケット3,000円 + 1 drink
(全席自由・税込)
チケットは
10月7日(日)より発売中です。