お金とはなんでしょうか?

『ヴェニスの商人』には、お金にまつわる表現が多く登場します。

3000ダカットの借金、信用、利子、金銀鉛の箱、そして指輪。商業都市ヴェニスのイメージを豊かにするだけでなく、架空の地ベルモントでもしばしば登場するのです。

たとえば、バサーニオがポーシャの絵姿の入った鉛の箱を見事選び当てたとき。

「優しい言葉だ。では、お許し願って。額面どおりお渡しするものはお渡しし、いただくものはいただきます」

あるいは、危急のアントーニオから手紙が届いたときのポーシャの台詞。

「高い値段で買ったあなた、温かい愛で包みましょう。とにかくそのお手紙、読んでくださらない?」[3.2]

このように、『ヴェニスの商人』の世界では、場所を問わず「お金」によって物事の価値が表現されているのです。それは、私たちの生きる資本主義の世界、グローバリズムの予言と読むこともできるでしょう。とはいえ、「お金とはなに?」と素朴に問われると答えに窮してしまいます。今回は、お金という不思議な存在に動かされる世界を『ヴェニスの商人』のテクストから読み取っていきます。シェイクスピアの想像力の豊かさ、その視野の広さを実感できるはずです。


商人アントーニオはバサーニオに借金を頼まれて、こんなことを言っています。

「君も知っているだろう、私の全財産はいま海の上だ。手元に現金もなければすぐ金に替えられる商品もない。これから出かけて、私の信用がヴェニスでどれほどものを言うか試してごらん」[1.1]


引用に端的に表れているように、アントーニオの商業を支えているのは「信用」なのです。現代の商船を考えてみましょう。たとえばアメリカで生産された雑貨や食品を日本で卸売する商社は、太平洋航海のあいだ厳密に品質管理を行い、最新の精密な海図を用いて座礁の危機を回避し、港での検査で損害が発覚していた場合は原因を突きとめ顧客に報告します。それはひとえにクライアントの信頼に傷をつけないためです。モノがよりよい質で広く流通するためには他者の手を介する必要があり、「信頼」の構造がそれを支えているのです。客観的で非人間的な原理に成り立つかに思える経済は、人間的な感情が支えている部分も大きいのです。第2回で見たとおり、このような「信用」の構造は、空間的な距離、時間的な延期がもたらす不確定性によって、さまざまな「思惑」に汚染されていくことになります。『ヴェニスの商人』に描かれた危機は銀行信用における恐慌や、現代の証券にまで広がっていくのです。

第3回に述べたように、アントーニオやバサーニオのような「信頼」、「友愛」によって成立する世界の外部に欠かすことのできぬ存在として、金貸しのシャイロックがいるのです。古くからキリスト教では高利貸しは罪深い行為だと考えられてきました。利息は何らかの商業行為を介することなく、シャイロックの言うとおり時間の差異を利用して「金にどんどん子を産ませる」 [1.3]ことだからです。とはいえ、「金が金を生む」不思議は利息だけではなく、私たちの世界の構造でもあるのです。


貨幣が貨幣を生む、それは資本主義の構造です。一定の資本を投下し、商品を生産し、それが市場に流通すると、価値が増殖して帰ってきます。貨幣→商品→貨幣。これは一見あたりまえに見えますが、この円を描くような仕組みに資本制の不思議(そして恐ろしさ)があるのです。そもそも資本は生産手段と労働力に分けられ、新たな価値を生みだすのは労働力です。しかし、商品が市場で流通し資本家の手元に戻ってきたとき、それは貨幣の形をとっていて、誰かの労働の痕跡は消え去っています 。さらに、労働者に戻る賃金も貨幣というかたちをとっているせいで、「過剰な労働」が見えなくなるのです。ではなぜ、貨幣にそのような「抹消」が可能なのでしょうか。

貨幣の性質を考えるためにまず、「A量の品物xとB量の品物yを交換する」といった基本的な交換の場面を思い描いてみましょう。それはA量の品物x=B量の品物yという等式に置き換えられます。この関係をさらに押し広げていくと、A量のx=B量のy=C量のz……という価値関係の鎖が無限に広がっていく。しかし貨幣が導入されるやいなや、このような価値関係の連鎖が「見えなくなる」のです。さきほど述べた、貨幣→貨幣の価値増殖の過程で起こる出来事は、このような貨幣の根本的な性質に由来しています[*1]。そして、私たちの過去を抹消する「想像」の産物である貨幣は、良心や人間関係といったあらゆる価値に置き換えることが可能になるのです。『ヴェニスの商人』のシャイロックがジェシカの逃亡を知って悲痛な叫びをあげるとき、娘=貨幣という関係性が明らかになります。

「俺の娘! ああ、俺の金! ああ、俺の娘! キリスト教徒と駆け落ちした! ああ、俺のキリスト教徒の金!」[2.8]


しかし、この状況は強欲な金貸しとして表象されることの多いシャイロックにあてはまるだけではありません。冒頭で引用したように、ベルモントでの美しい愛の場面でも金銭の比喩が登場します。「この指輪がこの指から消えるときは、ここから命が消えるときです」[3.2]、「私も愛する人に指輪を贈り、決して手放さないと誓言させた」[5.1]といったバサーニオとポーシャの台詞に表れているように、指輪と命(愛情)は等価なのです[*2]。これらは、貨幣の魔法にかかった資本主義の世界の姿を予見しているかのようです。

『ヴェニスの商人』では、キリスト教徒とユダヤ教徒の宗教対立がみられます。しかし両者ともに資本主義という機械仕掛けの舞台のうえで喜劇を演じているように思えてきます(チャップリンの映画のように)。資本主義を鋭く分析し、いまもなお読み継がれる 『資本論』を著したマルクスは、一神教の神の座に置き換わった貨幣をめぐる思考を「宗教批判」と考えていました。マルクスの豊かな知性とシェイクスピアの果てなき想像力、時は違えど、ふたりは新しい神の到来を告げ知らせている…そんな風にも思えるのです。

文責 カクシンハン文芸 原子耕

[*1]文章 全体の構成の関係で、前段落とこの段落は『資本論』の正確な論述の順序とは異なる。

[*2]ポーシャ=貨幣、指輪=貨幣というロジックについては、岩井克人『ヴェニスの商人 の資本論』を参照。ここでは、貨幣があらゆる価値を代替するという観点でしか書けていないが、 本書では死蔵されていた貨幣=ポーシャ、貨幣=ジェシカが共同体を自由に行き来し、価値を増殖するさまを論じている。

なお、本文中の引用は、松岡和子 訳『ヴェニスの商人』、ちくま文庫、二〇〇二年による。

★参考文献

岩井克人『ヴェニスの商人 の資本論』、ちくま学芸文庫、一九九二年。
熊野純彦『マルクス 資本論の思考』、せりか書房、二〇一三年。

2018.11.15 Thu.


カクシンハンPOCKET09

「ヴェニスの商人」

2018年

1128日 (水)〜122日 (日)

原宿VACANT
(渋谷区神宮前3-20-13)

演出:木村龍之介

翻訳:松岡和子

作:シェイクスピア

出演:

河内大和

真以美

岩崎MARK雄大

(以上、カクシンハン)

石毛翔弥(スターダストプロモーション)

鈴木真之介(PAPALUWA/さいたまネクスト・シアター)

白倉裕二

室岡佑哉(仕事)

David John Taylor

一般自由席4,200円 + 1 drink

U22チケット3,000円 + 1 drink

(全席自由・税込)

チケットは

10月7日(日)より発売中です。