みなさんは、別のだれかになりたいと思ったことはありますか?

 たとえば、性別。わたしは女になりたい、男になりたい。そんな願いがあっても、自分が閉じ込められた性の殻から抜け出すには大きな勇気が必要です。

 でも、『ヴェニスの商人』では女主人公・ポーシャが、難なくその境界を越えてみせます[*1]。彼女は婚約者であるバサーニオの友人アントーニオを絶体絶命の危機から救うため、男装し、ベルモントからヴェニスに向かい、裁判で見事な立ち回りを演じてみせるのです。

 今日は、『ヴェニスの商人』にみえる異性装(cross-gender fashion)について考えてみましょう。それは、シェイクスピアが活躍した16世紀といまをつなぐファッションのモードであり、他者とともにどう生きていくかが問われる私たちの社会の〈境界〉の問題を考えるために大切な視野を拓いてくれるのです。


「私はね、好きな人を選ぶことも、嫌いな人を拒むこともできないのよ。生きてる娘の意思が、死んだ父親の遺書に縛られてるんだもの」[1.2]

「そうよ、ネリッサ。ただし、すっかり変装して、私たちには欠けているものがそなわっているように思い込ませるの」[3.4]


 前者の引用では、ベルモントの領主の父の遺産を相続したものの結婚相手を自分の意思で選べないという不自由な状況を言い表しています。しかし、思い人のバサーニオが金銀鉛の箱選びでポーシャの絵姿が入った箱を引き当てたとき、彼女は自由な身で物語世界の主導権を握る存在となります。彼女の解放と変装、ヴェニス/ベルモントの越境、裁判での大活躍はすべてつながっているのです。


 じつはこのような変装は、シェイクスピアのほかの喜劇、さらにはエリザベス朝の戯曲の多く(なんと76%!)に見られるモチーフなのです[*2]。

 エリザベス朝の後期およびジェイムズ一世時代の社会的流行には、伝統的な性的役割を疑問視する傾向が反映しています。16世紀には女性が男装することに対して強い非難の声があげられていました。たとえば、『悪習の解剖』(1583)でフィリップ・スタックスは、女が男のように胴衣や短い上着を着ていることを非難します。彼は『申命記』第22章を引用しながら、「服装というものは、男と女を区別するためのはっきりした指標としてわれわれに与えられているものだから、異性の服を着ることは異性の性質を分有することであり、自分が属する性の真実性を汚すことである。そんなわけでこれらの女性が両性具有、すなわち半分は女、半分は男からなる両性の怪物と呼ばれるのは当然である」と述べています[*3]。また17世紀のフランスでは、男と女が「ズボンを奪い合う」版画が描かれていて、性の象徴的な逆転が家父長制、政治体制にとって大きな恐怖であったことがわかります[*4]。


 これは19世紀に描かれたものだが、カラーで滑稽さが伝わるため採用した。「ズボンの奪い合い」が数世紀にわたって象徴的な意味を持っていたことがわかる。


 ファッションのモードは本質的に性差の問題を反映していて、両者のあいだで生まれる不安が、シェイクスピアの変装するヒロイン像の土壌となっているのです。さらに当時女性を演じていたのは少年俳優だったということも、注目にあたいする事実でしょう。

 このような「異性装」を演劇に取り込むことにどのような意味があるのか、さらに深く探ってみましょう。


 シェイクスピアでは人間の内面に踏み込む悲劇ではなく、あくまで人間関係を中心にして展開する喜劇において男装のヒロインという表象が見られます[*5]。喜劇の核心は笑いであり、笑いの源泉は「ちぐはぐさ」です。変装はこのような笑いとちぐはぐさの両方を提示する方法として最適だったのです。男装によって女性は優越意識、ときには権力を獲得します。それは当時の(あるいは現代の)男性中心社会においてちぐはぐな印象を与えることができます[*6]。このあたりは、『ヴェニスの商人』の裁判のシーンを見ればわかります。ポーシャは男性的な文体で裁かれる者、なりゆきを見守る男たちの上に君臨するのです。


「慈悲は強いられて施すものではない、恵みの雨のように天から降りそそぎ地上をうるおすものだ、そこには二重の祝福がある、慈悲は施すものと受けるものを共に祝福するのだ。これこそ最も強大な者が持つ最も強大な力、君主には王冠よりも似つかわしい。その手にある王笏はかりそめの力を示すにすぎない」

「それは許されない、ヴェニスのいかなる権力も定められた法を曲げることはできない。それが記録されて判例となり、同じ例にならった多くの不正が国を乱すことになる——あってはならないことだ」[4.1]


 シェイクスピアの狙いはしかし、たんに笑いという側面ではなく、性格の複雑化と発展にありました。彼は中心人物をひとりにしぼり、その人物は観客を充分意識して変装し、劇の結末でそれを解きます。『ヴェニスの商人』のポーシャはアントーニオを救うために変身をしますが、それは婚約者バッサーニオの究極的な忠誠心が誰にあるのかという問題を浮上させるのです。バッサーニオの試練、指輪の所在をめぐるいさかいの果ての許し、愛が成就するというフィナーレ。女性としての自己を抑制しながら観察し、耐え、許すというイニシエーションをポーシャは経験します。箱選びで婚約にたどりついたあとも、一時的に男としての特権を手にいれることで自分自身と恋人を探ることができる、それはアイデンティティーの再定義の過程なのでしょう[*7]。


 服装はある共同体に埋め込まれた性差に対する意識を反映しています。シェイクスピアは異性装をとおして既存の秩序を相対化してみせながら、他者のあいだで生きる個人のアイデンティティーの模索という普遍的な問いを、たくみに練り上げられた喜劇の構造をとおしてわたしたちに投げかけます。アイデンティティーの所在が繰り返し問われるいま、男と女の境界を越えようとするファッションが次々と登場しています。シェイクスピアに導かれて、私たちは現代のモードにたどり着くのです。


 近年はグッチやルイ・ヴィトンなどの高級メゾンからザラやH&M、ASOSなどのファストファッションブランドに至るまで、ファッションのジェンダー偏向が弱まっていきています。さらに、来年3月には2013年に史上初のユニセックス・オートクチュールコレクションを発表したデザイナーRad Houraniの作品がアメリカのボストン美術館で展示されることやLVMHプライズ[*8]などの大きなファッション賞レースでユニセックスのデザインが評価を受けるなど、「AGENDER アジェンダー」なスタイルの流行はしばらく続いていきそうです[*9]。


 世界中のファッションブランドが集う表参道。夜に散歩するだけでも華やかな街の空気を感じることができる。


 モードはすぐに過ぎ去っていきますが、何度も回帰するものです。じつは20世紀には、日本のデザイナーたちが〈性〉を越えていく独創的なファッションによって、世界にムーブメントを引き起こしていたのです。真っ先に思い浮かぶのは、素材へのこだわりと、襞のデザインで有名な三宅一生さん(1938-)。1973年にパリで発表したプレタポルテ(既製服)は、生地を無駄にしない一枚布の、東洋風とも西洋風ともいえない独自のデザインでその名を轟かせました。1993年、現在もイッセイミヤケブランドの代表である、着る人の体型を選ばない「プリーツ・プリーズ」を発表。彼の服は人間の身体を決して束縛せず、どんな動作をしても邪魔にならない着心地を実現し、いわゆる「女性らしさ」の常識を打ち壊します[*10]。さらに、かたちを意図的に崩し、ボリューム感溢れるデザインをする山本耀司さん(1943-)や川久保玲さん(1942-)が創業したコム・デ・ギャルソン COMME des GARÇONS が思い浮かぶはずです[*11]。


 COMME des GARÇONS の一九九五年のコレクションで披露された女性服のほとんどが、どぶねずみ色の男性用背広を使用したものでした。モードに注目した哲学者の鷲田清一はその衣装に、「男性と同じものを着てもこれだけ違うんだという、あふれんばかりのフェミニティを感じた」と語ります。男と女、父と母、乱暴なものと静かなものといった差異の一覧表、ある種の「神話」がもう古くなったことを示してみせたのです。その根底にあるのは、無性的な服に向かいながら、女性であるという真実に向き合うという複雑な戦略だといいます。鷲田は戦後の貧しい生活を思わせるシンプルなワンピースなど、しばしば時代遅れのアイテムを登場させることに注目し、「女性の「生理」が時代と擦りあわされる瞬間の微かな記憶、あるいは時代によって圧縮されたり歪められたりする時代の記憶」が浮上してきて、男として生きてきた人間がくらくらする〈性〉の体験があると論じます。ここにある強烈な〈性〉は、喜劇で変装する女性とそれを観る観客のあいだで共有されるものに似ていると言えるでしょう。


 20世紀、日本のデザイナーたちはジェンダーレスファッションで世界に大きな衝撃を与えてきたのです。そして、現代へ! さきに述べたように、「アジェンダー」の流れは高級既製服にとどまらない全般的な現象になっています。「オネエ系」、女性が好きな男性キャラクターに変身するコスプレやりゅうちぇるさんなど近年メディアで人気を集めたジェンダーレス男子、さらには女性らしさを過剰に演出してみせるロリータファッションなど、〈境界〉はつねに揺れ動いています。とはいえこれらの現象はすべて複雑な背景をもっていて、「自分らしさ」の追求や既存の秩序への反抗と言い切ってしまうのは良くないことです。たとえば、コスプレイヤーは化粧する、髪を整える、裁縫するなどの「女性らしい」技術をフルに使って「男」になります。ジェンダーレス男子はあくまで「男であること」を重視しながら、これまで女性のものだった美意識を積極的に実践することで「女らしさ」を手にいれるのです。動機や程度はひとそれぞれですが、それらはジェンダーの「パフォーマティブな構築」と呼ばれています。私たちは「服をみにまとう」行為で、自分ひとりでは制御できないような社会的な撹乱を生み出すのです[*12]。


 原宿・表参道の大通り。公演期間中にはイルミネーションが点灯される。


 すっかり長くなりましたが、『ヴェニスの商人』に戻りましょう。最初に述べたように、ポーシャが変装する動機はアントーニオを救うためでした。それが結果的にバサーニオの試練を生み、彼女はアイデンティティーをふたたび見出すことになるのです。バサーニオはポーシャが博士に変装していたことを知り、次のような台詞を口にします。


「優しい博士、ベッドでは一緒ですよ、僕が留守のときは妻と寝てください」[5.1]


 終幕で語られるバサーニオの言葉は、愛情に満ちたものでありながら、妻の変装が生んだ混乱の余波をとどめています。16世紀末に書かれたこのスペクタクル劇は、最後まで万華鏡のように目の眩む価値観の「揺らぎ」の体験なのです。

 『ヴェニスの商人』はファッションの最先端原宿・表参道で上演されます。あなたが観劇を終えて路上に繰り出したとき、〈境界〉を超えるいとなみが現実に繰り広げられていることに驚くでしょう。シェイクスピアの言葉と現代がつながる瞬間、男の衣装に身を包んだポーシャが、華やかな音楽のなか、ストリートをファッションショーさながらに歩いている姿が目に見えてくるかもしれません。光のなかであれ、暗闇のなかであれ、私たちがふたたび生きようと試みるときシェイクスピアは生きているのです。


 VACANTのすぐ近くには、モードの中心地・原宿の竹下通りがある。ストリートは劇場である。


文責 カクシンハン文芸 原子 耕

2018.11.26 Mon.


本文中の引用はすべて『ヴェニスの商人』松岡和子訳、ちくま文庫、2002年による。

*1『ヴェニスの商人』では、ポーシャのほかユダヤ人シャイロックの娘、ジェシカの変装が見られる。ジェシカはユダヤ人の血筋を恥じており、「この家は地獄」「私、娘としてお父様の子であることを恥じるなんて!でも私、娘としてお父様の血を引いてはいても、考え方は別」[2.3]と語っている。彼女が思い人のロレンゾーと駆け落ちするときも男の衣装に身を包むが、ポーシャとジェシカ、ふたりの女性が不自由な状況から自分の意志で脱出を試み、自分らしく生きていこうとする姿からは、『ヴェニスの商人』の世界が女性によって突き動かされている側面を読み取れるかもしれない。

*2 河合祥一郎『シェイクスピア』、中公新書、2016年。

*3 このあたりはすべて、エドワード・ベリー『シェイクスピアの人類学』岩崎宗治ほか訳、名古屋大学出版会、1989年、第4章。

*4 岩崎宗治『シェイクスピアの文化史』、名古屋大学出版会、2002年、第4章を参照。

*5 河合、前掲書。

*6 エドワード・ベリー、前掲書。

*7 同書。

*8 LVMHプライズは世界の若手ファッションデザイナーを支援するため2013年11月に設立されたファッション賞である。www.lvmhprize.comに詳しい。

*9 このあたりはwww.vogue.co.jp/fashion/trends/2018-06-07/lvmhより。

*10 イセッイ・ミヤケとコム・デ・ギャルソンのデザインの特徴については鷲田清一『ちぐはぐな身体』、ちくま文庫、2005年より。

*11 山本耀司のデザインについては、リンダ・ワトソン『ヴォーグ・ファッション100年史』桜井真砂美訳、スペースシャワーネットワーク、2009年。各ブランドの実際の商品は、www.yohjiyamamoto.co.jp、www.isseymiyake.com、www.comme-des-garcons.comなどを参照。

*12 藤田結子、成美弘至、辻泉『ファッションで社会学する』、有斐閣、2017年。



カクシンハンPOCKET09

「ヴェニスの商人」

2018年

1128日 (水)〜122日 (日)

原宿VACANT
(渋谷区神宮前3-20-13)

演出:木村龍之介

翻訳:松岡和子

作:シェイクスピア

出演:

河内大和

真以美

岩崎MARK雄大

(以上、カクシンハン)

石毛翔弥(スターダストプロモーション)

鈴木真之介(PAPALUWA/さいたまネクスト・シアター)

白倉裕二

室岡佑哉(仕事)

David John Taylor

一般自由席4,200円 + 1 drink

U22チケット3,000円 + 1 drink

(全席自由・税込)

チケットは

10月7日(日)より発売中です。